■ なぜこのような事をはじめようとしたか・・・・
私は東京湾の盤州干潟で漁師という職業を20年以上営んでいます。
普通の人よりは、海の事は知っているとは思っています。
海で仕事をしていると、天気とは密接な付き合いがあります。雨・晴れ・曇り・・・と言うのもありますが、海苔養殖には水温・気温・地球温暖化・エルニーニョ現象等々の地球の気候も影響してきます。
特に風には人生を左右されます。
詳しく書くと長くなるので・・・・

そこで考えたのは、昔の漁師はどうやって天候を判断したか??
海で生きていくには何か教え・・の様なものが有ったのではないでしょうか?
等々考えているうちに、東京湾は今と違う状況だったと気がつきました。
現在はコンクリートで固められた海岸線・・干潟の多くは埋め立て・干拓にて無くなりました。

千葉県内でも浦安から富津まで広大な干潟が存在していたのです。
そこでは東京湾で代表的な海苔養殖・採貝を主としていました。
昭和28年時には千葉県内湾だけでも43団体の漁業協同組合が存在しました。
平成15年の現在は主に15団体を残すばかりです。

昭和26年から約20年間に17,368人の漁師が漁業権を放棄して丘に上がっていきました。
時代は高度成長期でした。当然の漁業権放棄だったのでしょう・・・文献によると、漁業者のスト・デモも行われたようですが、総意という言葉で海から離れていった人も多いと思います。
離れていった元漁師は、今何をやっているのだろうか?・・・
今になってどう思っているのか?・・・

考えがどんどん飛躍していきました。

現在でも残る私達の漁場、盤州干潟も後継者がかなり少ない状況です。
私の所属する金田漁業協同組合の場合、平成15年2月現在漁業権を持つ漁師の人数は928人・・平均年齢63.5歳です。
10年後には何人の漁師が現役で海に出る事が出来るのか?

そこで、丘に上がった元漁師の方達が尊命の内に話を聞いてみたくなりました。
その事を記録に残し、将来の東京湾の漁業に役に立つ事はないか?
私達現役漁師に教えはないか?
今後の東京湾の未来に教えはないか?
後継者の問題もヒントを得るのでは?

私は現役で漁師です。
通常のジャーナリストには解からない事も私なら解かる事も多いです。
だったら私が・・・・・海が時化た時にでも話を伺いに行こうと思いました。
私の育てて生産した海苔を手土産に・・・東京湾岸に回り、元漁師から話を聞いてみたくなりました。


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